昭和41年06月21日 夜の御理解
十三日は、小倉の初代のお立ち日でございますが、今年はちょうど五十年に当たるそうでございます。ですから、五十年の霊祭を仕えられる筈でございますけれど、今日善導寺の親先生のお話では、何か夏のお祭りに併せてあるようなふうに仰とったですね、勝彦さん、もうそんなふうに、あんた御理解頂かんかった。とにかくまぁこの十三日は、五十年の式年の御霊の祭り、あぁやって有る筈でございます、日にちは変わるかも知れませんけれども、まぁ正式に言えば七月十三日でございますね。
私はその事を、まぁいろいろ神様にお願いもさせてもらい、今度、椛目からも団体参拝ぐらいさせて頂こうと思い、あれでこれでとお供えのことやら、何かにこう思いをさせて頂きよりましたらね、例えば、お参りという事がまだそういうことじゃないと、まだ椛目の出る幕が先にあると言うなら、椛目のまだでる幕じゃないと、言う様な意味のことを頂くんですよ。
そして、頂きます事が丁度あの、歌舞伎役者があの舞台に出る前に、綺麗にも衣装をつけて、いわゆるメイキャップを終わって、そしてあの出を待っておると言う様な姿勢を頂くんですね。桂先生がよく仰った、この桂松平について踊る者はとこう言うふうに仰っておられたが、本当に桂松平先生を先頭に、私共が様々な意味合いにおいての、御用にお使い回しを頂いて、それこそ、躍らせて頂かなければならんのでございますけれども、椛目には、椛目の出る幕があるという事であると思う。
だから問題はいつでも、「さぁ今ぞと」こう言われた時に、いつでも「はぁっ」と応えて立てれるだけのね、信心をしておかなければならない、ね。いつでもちゃんと衣装の準備も化粧の準備も、何巻の演技の上には尚さらのこと、という事は、とにかく生き生きとした信心をしとかなければならない、という事だと私は思ったんです。ですから今度の、恐らく、今晩の模様では五十年の式念祭には、椛目はお参りが出来ないように思うですね、これは今度のご本部参拝の時も、そんなものを感じたんですよね。
ですから誰か代表で前の日か、前の日ぐらいにお供えでも、持ってお参りをさせて頂く、また善導寺からは若先生が、お供をして参るぐらいな事ではなかろうかと思うんですけれどね。問題は本当に、私共は桂先生のご信心に応える、亡くなられてもう五十年、その五十年の間に、やはり桂先生のご信心が脈々としてですたい、こういう、枝の葉から葉に至るまでです、やはりこうして生き生きとした働きを頂いております、と言う様な、生き生きとしたものをですね、私は椛目はとても頂いて行かなければならない、
いわゆる、あの五十年の式念祭に、参列出来るとか出来ないという事は、言うならば、ある意味合いでは問題ではない、椛目の場合今度。けれども桂先生のご信心、桂先生の流れを汲ませて頂いておる、言うなら枝の枝であり、葉の葉でありますけれどもです、それがこうして生き生きとして、ね、そう言う働きを感じさせて頂けれるような働きが、例えば、あの御造営の姿にも現れておると私は思うんです。
ですから問題は、私ども自身が、椛目自体がおかげを受ける事意外にない、そしていつでも神様がです、言うなら桂先生がです、「さぁ大坪今が出る時ぞと」教えた時に、あぁちょいとまって下さいと、言う様な事がないようなですね、準備だけは心の準備がです、生き生きとして、それは演技の上にも、いわばこしらえの上にも、どげなてんから言っても、はぁっと応えて立たれるだけの信心を、一つ頂いとかなければならんなぁと言う風に感じました。
どうぞ、そんな訳ですから、まぁとにかく、ちょうどここの十三日会ですたいね、はまぁ祥月命日の言うなら、五十年の式念祭ですから、お祭りには出来なくても、まぁ遥拝をさせて頂く程度に、致しましてもです、その芯はいつでも繋がっておる通うておれれると言うような信心こそが、本当は桂先生もお喜び頂けれる、信心じゃなかろうかと言う風に思うんですね。
どうぞ。